人生波乱万丈 なんとかなるねん

逞しいと言われる私。なんとかなるねんなんとかするねんと思って生きてきました。何とかするねんじゃなく何とかなるねん。沢山楽しい事ありました。沢山苦しいこともあったけど、なんとかなるねん。何とかするのだけど、気持ちはなんとかなるねんです。

過去のトラウマ?

9月5日

幼い時からのトラウマというか考え方の癖って植え付けられている

 

今日は、ゲシュタルトの気づきのワークに参加しました。


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今日のきづき

私は、事故にあってるんだからそんなに自分で切り開かなくても…という親の思いの中でまもられて育ってきたようです。できなかったら恥ずかしいという思いもあったことにきづく。

そっかぁ、自分で切り開きながら安心して甘えられ場所も私には必要なんだと自己内省した。

 

主人を養ってきたし、ひとりで走ってきたから甘えることはやっぱり恥ずかしい。甘えただけど甘えるのは得意じゃない。(でも友人には甘え上手といわれてきた)もしかして無自覚の甘えたなのかもと思った。

 

今日のきづき

プライベートとの安らぎと仕事に突き進む馬力、新しいことを切り開く突破力の両輪が私には必要であるということ。


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いまここの気づき

こんにちは。久しぶりの投稿です。昨日私のゲシュタルトの仲間たちと夏の終わりのパーティーをしました。

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楽しかったので花火のイメージ

ゲシュタルト心理学とは

はじめに

ゲシュタルト心理学は、心理現象を個々の反応の集合ではなく一つの全体と考えますが、その前提に、「人は目の前のものをバラバラな部分ではなく、構造のある一つのかたまりとして認知する」という

ゲシュタルトはこの「かたまり」にあたり、ドイツ語で形態、状態などをさします。 

「かたまりとして認知する」という脳の「クセ」は、あまりに自然に体験されているので、ふだん意識することはほとんどありません。だけれども、視覚・聴覚・思考(外部領域・内部領域・中間領域)など、さまざまな面に当てはまり、ゲシュタルト心理学はいろいろな分野で応用されています。

ゲシュタルト療法では、「図」と「地」からできる全体として機能する一つの単位を示します。

 

 

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ルビンの壺

 この図は有名な「ルビンの壷」です。

「二人が向かい合っているところ」か、「壷」が見えます。

 壷と二人が同時に見えることはありません。

 壷が見えるときは、壷が「図」になり、周りは「地」です。

 二人が見えるときは、二人が「図」であり、ほかは「地」です。

 「図」と「地」が存在するので、壷や顔が見えます。

 しかし、壷を「図」として見る時には、顔という「地」は見えません。

 顔を「図」として見るときには壷という「地」は見えません。

 このように人間は、注意を向けている「図」は感じられますが、その対象を浮き上がらせる「地」は感じられなくなります。

人間は自分が興味のあるものを「図」と認識して、それ以外を「地」と認識します。

 「図」以外を「地」と認識してしまうと、「地」を意識しなくなります。

 同じことが、社会で生活する中でも起こります。

 ゲシュタルト療法は、そこで、この「図と地の関係」を、「人間とその周囲の関係」に援用します。

 人間は、現在という環境に生きています。

 現在(現に存在するもの)の中で注意を向け「感じた」ものだけが、「現実」として認識されています。

 これが「図」です。

 人は「図」の部分だけを意識して生きています。

 しかし「現在」には、自分が注意を向けていないが存在する「地」の部分があります。

 「現在」には「地」があるから、「図」を認識して意識できるようになっています。

 この図と地が一つになって意識され機能したとき、「ゲシュタルトが完成した」と言います。

 右のアニメーションでは、白い地が見えることで、図としての人が見えます。

 「地」がはっきりすると、図の「境界」がはっきりします。

 「地」の色が「図」の色に近づくと、図の「境界」はぼやけます。

 「地」をはっきりと「感じない」と、自分という存在の「境界」がわからなくなります。

 自分という存在を忘れてしまいます。

 当然、現実と現在がずれて苦しみます。

 パールズはこれが神経症の発生だと言います。

 そこで、ゲシュタルト療法では、この「図」と「地」をひっくり返して、「感じ」させてあげます。

 ロジャースのように気づくまで待ったりはしません。

 気づくように、はっきりと介入していきます。

 

※ゲシュタルト療法から引用

 

今の感覚にフォーカスする

私たちは、よくも悪くも思考で判断し物事を捉えます

一度感覚にフォーカスしてみます。なんか、身体がゾクゾクする。爽やかな感じがする。捉え方じゃなくて今何を感じているか…。ここから全てが始まります。

捉え方は千差万別。私たちは、できないことだけにフォーカスしてしまいます。だけど、全体を見てみたら…。

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色んな輝きがある

できないこと、他にできていることがある。できないことをできるようにするためには???1人でしなくてもいいのかもしれない。誰かにSOSを出せばいいのかも知れない。それをしなくても他に特技があるのかもしれない。今不快に感じていること。快を感じていることを自分で選んで生きてみませんか?

 

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晴れたらいいね

 

 

 

8/17 天然石ワークショップに参加した。

 

楽しさを生き甲斐にする

今日は稲城若葉台にきた。レジンで天然石やビーズのお守りを作る。


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左は、縄文文字で、てんといれて、ラメなど散りばめて…。右は貝殻に神戸をイメージして作った。


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これは右端を作った。

 

なんか良かったです。

左手が悪くてもなんとかできました。楽しくてたまりませんでした。

 

これだからこうと決めつけないで、やってみることで世界が広がるんだと思います。

 

好きなことを探す

だからといって無理やりさがしても意味がないと私は思います。

なんでもやってみる。軽い気持ちで。



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それだけだと私は思います。

趣味をみつけようと探しても中々見つからないと同じだと思います。

 

野菜カレーをつくろう

今日も暑いからグリーンカレーを作ろうと思います。(今日も少しブログ趣旨から離れてます)

 

左手が不自由でも作れます。簡単です。で楽です。

 

冬瓜炊き続けているのでちょっと違った感じに。

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カルディーのグリーンカレーは199円

それにオリーブオイルで炒めた野菜を一杯いれます。

肉は入れません。

それだけです。

今晩は、野菜カレーで決まりです

 

 

 

 

7月27日 障がいを持つ兄姉弟妹のこと

障がいを持つ兄姉弟妹を持つ人たちのことを考える

 私には妹がいます。今日は妹の誕生日です。

 

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姉妹なので「お誕生日おめでとう」のやりとりはします…。

やっぱり妹なので・・・。

 

障がいをもつ兄姉弟妹の気持ち

私の妹は優しいです。生まれた時には障がいをもってる姉をみて育ったので優しいです。私は、事故してから1年くらいだったので、怖がられたらどうしようと思ったことを覚えています。実際私を見て泣きだした時には気持ち悪いのかなとか思いました。聞いたことないし、聞いても「何アホなこと言ってるの」と言われるだけだから聞かないですが...。

 

一度だけ聞いた妹の気持

社会人になった時、妹が言いました。「お姉ちゃんのこと将来面倒をみなきゃいけないのかと思ったことがある」と。

そっか...。

やっぱり...。

でした。それは当然だと思いました。やっぱり不安だろうなっと。親は姉に一生懸命だし。妹からみたらやっぱり寂しかっただろうなと思います。ごめんねと思いました。

 

当事者の気持ち

何とかすると思って私は突き進んできたけれど、どこかで妹のことをごめんねと思ってきました。あと、結婚するときに私がネックとなるんじゃないかなと心配でした。妹もそれはあったと思います。歳をとって妹に面倒見て貰うことはないですが...。妹にしたらどこかで覚悟していたんだと思います。ごめんねしかありませんでした。

 

今現在

妹は三人の子どもの母親で幸せに暮らしています。杞憂だったんだと思いますが…。

ずっと心のどこかでごめんねをもちつづけるんだと思います。

 

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身体障害は太る? そう思いませんか?

 

2018年7月26日 身体障がいは太る?

久しぶりにブログを更新しました。

 

身体障がいは太る。これは、私の勝手な持論です。でもきっとそうだと思います。

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私は、元々細かったです。30代前後から太り始めました。

主人に俺はデブ専ちゃうぞとか…、結婚した時は俺の方が太かったのになぁと呟かれていました。

障がい者って歩かないんですよね。いえ、誤解を招くけど、、、。歩く量も少ないけど、歩き方が独特だったりするからカロリー消化量が違うんですよね~。

だから、注意しないと太り続けます。

 

ということで、私は(夏食べれなくなるのと、便秘だからが主要因だったけど)チアシードをドレッシングにいれたりしてサラダを食べたりしてます。

 

私の食べているもの

①チアシードドレッシングをかけ野菜。

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こんな素材にチアシードドレッシングをかけてダイエットに勤しんでいます。

 

 

②チアシード入りヨーグルト。

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意外に美味しいですよ。

 

そして、夜は普通に食べてます。

だから太いのかも(笑)

 

でも、痩せないと将来歩けなくなる不安があるのでダイエットに励んでいます。

まぁ、元々、健康オタクだし。。。元に戻りたいから・・・。

 

 

防災 マッチングコーディネーター基礎講座

#7       6月8日(金)  世田谷区災害マッチングコーディネーター基礎講座

先日、昭和女子大学でマッチングコーディネーター基礎講座でした。

 
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私は初参加。仲間が様々な準備をしていました。

凄く丁寧に作り込まれているシステムです。震災や災害に必要だなと思います。

 

それでも私は不安はある

障がい者である私の立場からひとつ懸念があります。私だと片手片足があるからなんとか暮らせます。でも、右手をケガするとバランスを右手で保ってて、左手でものをとったりもろくにできない。もしかしたら立つこともできないかもしれない…。もちろん携帯なんて細かな作業はできません。

障がい者のこと、老人のこと考えてるというけどやっぱり少数派。

私たちは常にもしもの時を常に意識していなければならないのだろうなと思います。


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生きていくのには不自由があるんだなとあらためて思った先日。

でも、なんとかなるよね。

 

 

 

 

 

RIMOWAのスーツケース

#6  5月30日(水)  本日2本目のブログ

タイトルをみてうん?と思われている方がいると思います。私は、スーツケースそしてカバンマニアです。

今一番欲しいもの RIMOWAの北米限定パールピンクのスーツケースとRIMOWAのルフトハンザモデルのビジネスケース。

 

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RIMOWAの北米限定パールピンクのスーツケース

このスーツケースが欲しいです^^。これとビジネストローリーが欲しい。私の信念は「願えば叶う」です。先日会社を経営されている方が「意志あるところに道あり」という座右の銘を教えてくれました。

昨日かいた“ピアノを両手で弾けるようになるのが夢”の私。これと同じできっと、叶うと信じています。

 

公言してみると世界は変わる

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意思が弱い私は、公言することで逃げられなくします。≪何年かかってもいい、やります≫の意思表示です。

 

こんなことをしながらここまで生きてきたんだなと思います。でもRIMOWAのパールピンクのスーツケースが欲しいです。

自分自身と向き合う③

#5 5月30日(水)左半身麻痺になって③

前回はリハビリに邁進するけどあまり覚えていないそんなことを書きました

kankoffice.hatenablog.com

その時の気持ちや想い、親や姉妹の気持ちなどが脳裏に浮かび、手が止まってしまいます。やはり、消化出来切れていないものが胸の奥にあるのかもしれないと思います。

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リハビリで思ったこと

私は、治るもんだと信じていました。左手も。左足も。元に戻ると思っていました。で、言われるまま訓練していました。活発なので、障がい者が集まりスポーツをしようという組織の立ち上げに呼ばれたこともあります。(今思えばパラリンピックの前々進、いわば初期の初期の集まりだったのかな~と思います。)そこでもリハビリでも思ったことはなんか違う…だけ。
理屈っぽいのか、いらち(関西弁で怒りっぽい性格の人の意)なのかちょっと合わないと思われるものもありました。具体的にいうと、パチンコ玉を麻痺のある左手でピンセットで掴むとかのリハビリとか(今は違うでしょうが…)スポーツの場で「私たちなんでこんなことせなあかんの?出来なくて当たり前やん」とかの言葉、傷の舐め合いが子どもながらに苦しくて溜まりませんでした…。リハビリではやっぱり楽しいことやりがいのあることをしたかった。料理作りや、ものづくりは楽しかったです。出来なくて当たり前だけど、やってみようよ~とか…<その時から交流分析でいうCPとACが高かった私。>色々思うことはあったけれど6年間通い続けた。

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今感じること

右手で何でもやりますが、あの時つべこべ言わずやっておけば良かったです。やっぱりきちんとやればよかったのかなと思います。

左手の機能がもっとよくなったのかもと思います。後悔先に立たずです。

 

 

 

 

 

自己肯定感

#4           5月29日(火) 自分の立ち位置

 

今日2本目のブログ

ちょっと事故の時から離れて今の自分をかきます。

 

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今の私

大学卒業後全国紙の広告局で働きました。記者というのは、編集局なんです。私は、広告管理部門、広告審査部門、広告営業部門、広告マーケティング部門、広告クリエーティブ部門などで働いてきました。

事故の後もやりたいと思ったことはすべてやってきた。雪山登山。旅行。キャンプ。勉強。一人暮らし。就職。結婚。傍からみているときっと充実していた日々に見えたと思います。はい。充実していました。でも、ストレスは半端なくて、10円はげ、朝になると全身発疹、でも気が強いからか顔や腕見えるところには一切でない。会社の保健師さんにいっても、病理学的にそのようなことはあり得ないと言われたし・・・。

 

そんなことが続いた22年間。主人の死を機に仕事を辞めて東京にでてきました。

喪失(Sousitsu)を抱えた人の自律のための研修やカウンセリングをやっています。

 

本当に騙されたり事業がうまくいかないとか色々あるけどなんとか頑張ってます。

 

 

 

それの意味すること

 

今ならわかることがあります。私は、勝手に【普通】に憧れていた。【普通】の幻想を追い求め掴んできた。わからないけれど、やりたいことはなぜかやれたし、やってきた。だけど、それは、自分でもしかしたらできないことはしてなかったのかもしれない。事故の前からやっていたピアノを弾きたかった。でも、あの時片手でピアノを弾くなんてこと思いもしなかった。

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妹が弾き始めたピアノ。私は一切ピアノの話題をしなかったらしい。

事故の1週間前の学校の音楽会。学年で私ともう1人だけがピアノの演奏者として選ばれていた。うれしくてうれしくて私はたくさん練習していたらしい。

らしい・・・。というのはあまり覚えていない。覚えているのは、あれから私には音がなくなった感覚。映像では目に浮かぶ風景がたくさんある。だけど、音が流れていない。そんな感じ。

そんな私だから、きっと、悔しくて悔しくて…悲しくて悲しくて…これ以上親や妹を悲しませたくない恥ずかしい思いをさせたくないそれだけだったと思う。だから【普通】を追い求めて苦しいとか考えず(感じず)に突き進んできたんだ。

 

1人ではきっと生きていけない

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 交流分析で言うACとCPが強い私。でも母性も強いらしくNPもそこそこ強い。ということは、誰かのために自分が背負って生きるという感じなのかも知れない。自分のためにがんばることが苦手なんです。だから、結婚したのかもしれない。1人で生きていく自信がないから。

主人が死んだ今 、自分のためだけにがんばることの大変さを身にしみて感じている。そんな毎日です。

 

 

 

 

 

自分自身と向き合う②

#3        5月29日(火)  左半身麻痺になって②

この前のブログを書くのに、3週間かかりました。私は、自分の気持ちがあまりわかりませんでした。過去形にしたけれど、今も苦手です。ただ、やはり私は、誰もが前を向いて暮らしていって欲しいという思いが強いからまず、自分の生きてきた道筋を書き綴ろうとしました。だけど、事故の時どう思ってたかなど考えれば考えるほど震えが止まらなくて…。書き進めませんでした。

ただ必死に書き綴ろうと思います。文章が拙くなりますがお許しください。

 

 リハビリを進める

ただ素直に治ると信じてただ進んできました。なんでもやるんやと思って。

反骨心とかじゃありません。本当に治ると信じていた。ただ元に戻ると。だからあんまりこの頃のことを覚えていません。

私の親は、身体が元に戻らないことを主治医から聞いていました。だから辛かっただろうなと今は思います。子どもであっても、なんでも、きちんと説明していた両親だからもしかしたら私にも説明していたのかもしれません。だけど、覚えてません。毎日毎日リハビリをしていたことだけ覚えています。

勉強が遅れるとか色んな問題はあったけれど、母が「勉強はいつでも私たち(父親と母親)が教えます。でも、今この子は、たつ練習や歩く練習をしなかったらいくら勉強ができてもどうにもなりません。だから今は左足、左手を訓練して、体幹をなんとか鍛えないといけないんです」と親戚にいった言葉は子どもながらにインパクトがありました。


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 今思うこと 

 やはり治りたかった。もとに戻りたかった。障害を受け止めるなんて未だにできていないかもしれない。だけどあの頃父親や母親が必死になって私の障害を少しでも良くしたいの一心で目の前のことをやることをおしえてくれました。

感謝しかないです。

 

自分と常に向き合う

#2        5月25日(金) 左半身麻痺になって

 


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やっぱりこのテーマすすまないです。自分を晒しすぎるからだと思うのですが、私が伝えなきゃと思えば思うほど書くのが苦しくなるんです。まず、時系列に当日あったことを書いていきます。 

体育の授業中の事故

小学校一年生の秋体育の授業中の事故で身体が全く動かなくなりました。登り棒から降りていく途中で、上からクラスメートが降りてきて…。ぶつかり登り棒を降りて倒れた…。そのまま保健室に。そのまま。

そして、その間に徐々に血が詰まりいわゆる外傷性の脳梗塞

 

その後

お昼休みに母親が迎えにきた。母親に「お水が飲みたい」といった私…。母親がお水を飲ませてくれて…。ゆっくり歩いて帰った。その時、住んでいたのは、神戸の公団の4階。 神戸というと坂が多く、必死にあるいて帰った。自宅に入った瞬間、倒れ込んだ。

宿直あけで自宅にいた父親。

父親に背負われて近所の明舞病院に駆け込み運ばれた私。そのまま、兵庫県立子ども病院に運ばれた。

 

私が今思うこと

6歳だった私は何がなんやらわからなくて、ただリハビリをやっていたと思います。

そこに気持ちとかなくて、ただ元にもどるしかなかったんだと思います。事故当日は、本当に何がなんやらわからなかったです。

 

 

 

 

ブログタイトル「人生波乱万丈~なんとかなるねん~」に変更

#1         2018年5月8日 決針 ブログタイトルを変える

 色々知り合いと相談しブログタイトルを変えました。更新できてなかったからこんなこと宣言しなくてもいいのだけれどもブログの趣旨に繋がるので今の気持ちを残しておきたいと思いました。

私の生きていくためのテーマは、「しなやかに生きる」だったからブログタイトルは「しなやかに生きるための秘訣」にしていました。

そもそもしなやかって何?Kankoはしなやかに生きてるの?と中々鋭い質問がありました・・・。

しなやかの意味

1 弾力があってよくしなうさま。「しなやかな足腰」「しなやかな枝」

2 動きやようすがなめらかで柔らかなさま。「しなやかな身のこなし」「しなやかな革」

3 姿態などがなよなよして上品なさま。たおやかなさま。

これで生きてきたつもりなのですが・・・。他の人から見ると、「逞しい」が私のイメージなんだそうです。

 

 逞しいの意味

①体つきががっしりしていて強そうである。 「筋骨-・い力士」 「馬の,極めて太う-・しいが/平家 9」
②意志が強くて,くじけない。 「 - ・い精神力」
③力強く頼もしい。活力にみちあふれている。 「 - ・く発展する国々」
④目を見はるほど盛んである。 「 - ・食欲」

だそうです。
全て当てはまってました。くじけそうだったけど負けない。負けるもんかと思っているし。
人って成長しながら生きていけると思っているし。

 

 

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 思ったこと

そうなんです。私のイメージと、私のスタンスが乖離していたのです。

良く見せたいって思っていたのだろう。

等身大の自分じゃないのでブログが続かないんだ。だから、FBとかは書けるのにこれは続かないんだと思いました。

 

最後に

今日からちゃんと書き綴ろう。よく見せたいとかブランディングとかではなくて等身大の自分を書き綴ろうと思います。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

自分のやりとりの癖を知る

2月20日(火)

自分の話し方の癖をしる。

あなたは、どのポジションで話をしている?ふとどのポジションにいることが多いですか?

 

ポジション

○相手を支配的に関わろうとしようとしているポジション?
○相手を養育的に関わろうとしようとしているポジション?

○相手の言われるまま関わろうとしようとしているポジション?
○相手に対して反発し、懐疑的に関わろうしているポジション?

○自分に相手に素直に無邪気にいるポジション?

 

 所感

大人なんだから本当は、基本は、冷静に客観的にはなさなければならない。

だけどそこには感情というものがある。だからむつかしい。発した言葉の受け取りは相手にあるから相手がどう判断するかだ。

私は、養育的あるいは、客観的に話しているようにみせて相手を支配的に関わろうとしようとしていることを感じたらその人に対して反発しか感じない。裏に手を回していたら尚更。反発しか感じない。 たから新聞社に長年在籍できたんだろうな。それか職業病か…(汗

直さなきゃなぁと思う。

1/19(金) 沸き上がるもやもやする感情

こんばんは。


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事務所からみえる京橋方面の景色です。

色んな沸き上がる感情を消化して今日も1日がんばりました。

あっ、この人無意識に引っ掛けようとしている。無意識に試そうとしている。ここで乗ったらだめ!
TA心理学でいうゲーム理論。その時、受けとるなんかもぞもぞする居心地が悪い感情。ここで終わらす。でも貯めていくと最後は、爆発するから消化しておこう。これはスタンプという理論。だからスタンプを貯めないようにしなくちゃ。

人の気持ちは状況説明では保護できない。じゃあそれをどうしますか?どう保護しますか?どう自分で防衛しますか?

 
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そんな時私はどうしているだろう・・・

そんなことがあった後私は美味しいコーヒーを嗜みます。気分がすっと切り替わるんです。

なんか、気分を変えるご自分だけのツールを持つといいですね。