自己肯定感
#4 5月29日(火) 自分の立ち位置
今日2本目のブログ
ちょっと事故の時から離れて今の自分をかきます。
今の私
大学卒業後全国紙の広告局で働きました。記者というのは、編集局なんです。私は、広告管理部門、広告審査部門、広告営業部門、広告マーケティング部門、広告クリエーティブ部門などで働いてきました。
事故の後もやりたいと思ったことはすべてやってきた。雪山登山。旅行。キャンプ。勉強。一人暮らし。就職。結婚。傍からみているときっと充実していた日々に見えたと思います。はい。充実していました。でも、ストレスは半端なくて、10円はげ、朝になると全身発疹、でも気が強いからか顔や腕見えるところには一切でない。会社の保健師さんにいっても、病理学的にそのようなことはあり得ないと言われたし・・・。
そんなことが続いた22年間。主人の死を機に仕事を辞めて東京にでてきました。
喪失(Sousitsu)を抱えた人の自律のための研修やカウンセリングをやっています。
本当に騙されたり事業がうまくいかないとか色々あるけどなんとか頑張ってます。
それの意味すること
今ならわかることがあります。私は、勝手に【普通】に憧れていた。【普通】の幻想を追い求め掴んできた。わからないけれど、やりたいことはなぜかやれたし、やってきた。だけど、それは、自分でもしかしたらできないことはしてなかったのかもしれない。事故の前からやっていたピアノを弾きたかった。でも、あの時片手でピアノを弾くなんてこと思いもしなかった。
妹が弾き始めたピアノ。私は一切ピアノの話題をしなかったらしい。
事故の1週間前の学校の音楽会。学年で私ともう1人だけがピアノの演奏者として選ばれていた。うれしくてうれしくて私はたくさん練習していたらしい。
らしい・・・。というのはあまり覚えていない。覚えているのは、あれから私には音がなくなった感覚。映像では目に浮かぶ風景がたくさんある。だけど、音が流れていない。そんな感じ。
そんな私だから、きっと、悔しくて悔しくて…悲しくて悲しくて…これ以上親や妹を悲しませたくない恥ずかしい思いをさせたくないそれだけだったと思う。だから【普通】を追い求めて苦しいとか考えず(感じず)に突き進んできたんだ。
1人ではきっと生きていけない
交流分析で言うACとCPが強い私。でも母性も強いらしくNPもそこそこ強い。ということは、誰かのために自分が背負って生きるという感じなのかも知れない。自分のためにがんばることが苦手なんです。だから、結婚したのかもしれない。1人で生きていく自信がないから。
主人が死んだ今 、自分のためだけにがんばることの大変さを身にしみて感じている。そんな毎日です。